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≪ ひと・まち・そして未来へ ≫

・・・事務所開設10周年の感謝・・・





・・・この10年間を少し振り返ってみました・・・

1995年(平成7年)
阪神淡路大震災  1月17日 午前5時46分阪神淡路大震災が発生。高速道路・新幹線の高架そして多くの建物が倒壊する悲しい朝を迎える。
 奇しくもこの年の春、10年間修業をさせてもらった事務所を離れ、尾川建築設計事務所の第一歩を踏み出すこととなる。
1996年(平成8年)
O−157  7月13日 大阪府堺市の小学校でO−157による食中毒が発生。
 初めて聞く病原体は、またたく間に全国的な広がりをみせ、多くの患者を苦しめ、その原因追求は政治的問題にまで至る。
 事務所も、あっという間に2年目を迎え、新たなスタッフの協力のもと、少しずつ前進する。
1997年(平成9年)
消費税 4月1日 消費税の税率が3%から5%にアップされる。同時に公共料金等が一斉に値上げされ、建築工事の着工にも少なからず影響が出る。このまま、数年毎に消費税率がUPされれば・・・と心配する。
私事務所も決算時期には消費税率のUPに少しは影響を受ける。
1998年(平成10年)
冬季オリンピック長野大会  2月7日 第18回冬季オリンピック長野大会が開幕。史上最多の72カ国2339人参加の中、女子モーグルで里谷多英選手が日本女子初の金メダルを獲得する。オリンピック初、街頭での表彰式もセンセーショナルなステージとして世界を驚かせた。
 松山歯科医院で奈良県景観調和デザイン賞 奨励賞を受賞。
1999年(平成11年)
新事務所  4月1日 男女雇用機会均等法が制定。男女差別や雇用に関する男女の規定をなくすように義務付けられる。
 ますます、この設計という仕事に女性へチャンスの場が広がる。
 33年間続けた親父の商売にピリオドを打ち、その場所へ事務所を移転し心機一転新たなスタートを歩む。
2000年(平成12年)
ミレニアムの年明け  1月1日 ミレニアムの年明け。コンピュータ「2000年問題」で世界中が緊張する中、新しい年を迎えた。
 日本では、青少年犯罪が多数起こり「地域の責任」「地域の教育」が見直される機会となる。同時に、同世代の子を持つ親として憤りを感じた。
 トヨタセンチュリーストリートで奈良市建築文化賞 町並み賞を受賞。
2001年(平成13年)
炎上する世界貿易センタービル  1月1日 21世紀の幕開け。新世紀を祝うセレモニーや世紀越しのイベントなどが世界中で催された。
 一方 9月11日 明暗的な出来事が起こった。アメリカニューヨークの世界貿易センタービルに2機の旅客機が相次いで衝突・崩壊。衝撃的な映像に建築家として少し立ち止まる。
2002年(平成14年)
ノーベル賞受賞  10月8日 東京大学名誉教授の小柴昌俊氏がノーベル物理学賞を受賞。翌日には、島津製作所分析計測事業部の田中耕一氏が、ノーベル化学賞を受賞。民間企業サラリーマンの突然の受賞に日本国中が沸き、勇気付けられた瞬間であった。
 事務所スタッフも3名となる。
2003年(平成15年)
イラク戦争  3月19日 ブッシュ米大統領がイラクに開戦宣言をし、バグダットを拠点に攻撃を開始。米英軍は開戦26日目にしてイラク全土を制圧した。これにより戦争は事実上終戦を迎えフセイン政権が崩壊する。  地球の裏側で行われている現実を直視し、建築家として今、何が出来るのか真剣に考えさせられる。
2004年(平成16年)
アテネオリンピック  8月13日 オリンピックが108年ぶりに近代五輪発祥の地ギリシャのアテネで開催。日本のメダル獲得数は過去最多の金16個、銀19個、銅12個という大活躍に日本国中が熱狂し感動した。
 4年越しの目標でもあった「富士登山V4」が大成功に終わる。事務所スタッフも5名となる。
2005年(平成17年)
愛・地球博  3月25日 35年振りに日本で開催される国際博覧会「愛・地球博」が開幕。『自然の叡智』をテーマに「自然のもつ素晴らしい仕組みと、いのちの力」を世界の人々に呼びかける交流の舞台「EXPO 2005 AICHI JAPAN」
 この春、事務所開設10周年を迎える。すべての人々に感謝。


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