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富士山登頂計画
日本一の山。最高峰3776mにチャレンジ
初挑戦
2001年7月14日・15日 大和郡山青年会議所(JC)の事業「自己修練例会」として、日本最高峰3776m・富士山登山に初挑戦する。1泊2日という非常にタイトなスケジュールの中24名がチャレンジし、21名が無事登頂に成功。眼下に広がる雲海。そこから目に焼き付くくらい眩しいご来光・・・そこまでのつらい道のりを忘れさせる程の絶景・感動。
何としてでも、この景色をそしてこの感動を子供に伝えたい。そう心に決める。
家族の理解
言葉でしか伝える事が出来ないこの感動、そして「家族での挑戦」に家族全員が理解を示してくれた。よし!これで「富士山登頂計画」がスタートだ。
スタッフの理解
なかば冗談で、「今年の社員研修旅行を兼ねようか・・・」という提案に「エッ!」という声も耳の横をすり抜け、本山君・さえちゃんの2人が参加を表明。まずは道具からと言う事で、ザック・靴・雨具の買出しが始まったのだ。これを「理解」というのか?
準備
とにかく、JCの事業で一番忙しい時期の中で、富士登山としても絶好の時期、そして少し余裕のある工程を検討する。2002年7月20日(土)〜22日(月)に決定。
メンバーは家族4人+妹+スタッフ2人=合計7人に決定。
2001年秋から 山辺の道・大台ケ原・二上山・金剛山・葛城山・赤目四十八滝・
サイクリング・矢田山・・・等にてトレーニングに励む。
高山病の事を一番に考え、宿泊については5合目と本8合目に決定する。
出発
2002年7月20日(土)快晴の中、朝8時出発。いよいよ1年間の「富士山登頂計画」の実践だ。東名阪から名古屋を経て東名自動車道御殿場・河口湖へ。約6時間の快適なドライブのはじまり。
河口湖猿まわし劇場
今回唯一の観光オプショナルとして、河口湖畔の猿まわし劇場を観賞。1時間近く結構楽しめるステージでこれから始まる富士登山のプロローグとしては、非常に良かった。
富士山5合目
河口湖畔にてこれから登る富士山を遠くに眺め「全員登頂」という決意を改めて固める。
麓の「湯園」にて温泉に入り、露天風呂から見える富士山を眺めどんどん登頂への思いが高まる。
夕方6時30分頃5合目雲上閣に到着。少し肌寒い。この時点で少し頭がくらくらする様な気がする。少し高山病にかかったようである。賀栄の様子が少し心配。
長旅の疲れか、ぐっすりと就寝・・・(それはパパだけ。みんな眠れずもがいていた。)
快晴
7月21日朝・・・快晴。富士山登山としては申し分ない天候。いろんな場面で「天気がよければ90%成功した様なもの」と良く耳にする。今回もこの天気にあやかって、無事全員が登頂出来る事を心の中で祈る。賀栄も一晩寝た事によって高山病にも慣れた様子で何とか全員体調的にも申し分ない状態らしい。
登山開始
朝9時登山口に立った。五合目の標石の前で記念撮影の後いよいよ登山開始である。最初はゆっくりとした下り坂。昨年の記憶が蘇り、これから続く長い登り坂を思うと「下りなんていらない」と思いつつどうしようもない道のりにゆっくりと足を進める。
しかし、話は変わるが下山してくる人達の多さには驚いた。先週の台風のお陰か、天候の回復した昨日から登山されている人の多さには驚いた。逆にこれから登山する人は昨年に比べて少なくて自分のペースで登れそうだ。
突然停止
もうすぐ、6合目に着く・・・という時に突然の停止。歩き始めて1時間も経たない。
雅洋が急に「しんどいねん!」の連発。早くもここで一人リタイヤか・・・と頭を一瞬過ぎったが、ここは時間を十分に掛けて回復を待つ事にする。20分後何とか足が前に出る様になった。ここは、気分的に盛り上げてやろうと一緒にゆっくりと先頭を歩く。
6合目
ようやく6合目に到着。雅洋も急に回復したらしく、元気になったようだ。一安心。
6合目は観光客用の拠点と言う事もあって、山小屋自体は存在するが、閉まったままである。休憩することもなくもう少し先を急ぐ事にする。
ようやく、ここから登山道と下山道が別々になり、登り易くなってきた。ここからが実質の登山という感じである。
化粧
下山道との分岐点を過ぎると急に、富士山特有の大・小さまざまな大きさの火山岩で出来た急な登り坂が続く。結構単調な登り坂で、7合目の山小屋が遠くにいくつも見えるが、景色がいっこうに変わらない。しかし、ゆっくりしたペースのせいか、みんなの表情が体調の良さを表しているようだ。おまけにお母さんは、休憩中にも化粧に専念している。
やはり、どんな状況でも「女」を忘れていないようだ。
焼印
やっとの思いで、7合目に到着する。昨年頂上で購入した金剛杖に焼印を押してもらう。
今年は、全ての山小屋で焼印を押してもらう事も今回の目標でもあるのだ。
しかし、1回200円は良い商売だなとつくづく思う。
今日の目標
7合目の山小屋は7つくらいあり、それぞれの間のルートも変化があり、歩いていてもその変化を楽しめるようになってきた。さあ、次はあの山小屋までいくで・・・
いつのまにか本日の宿泊小屋である本8合目の富士山ホテルが見えてきた。昨年の記憶が蘇ってくる。さあ、みんなのテンションを持続しながらもう少し頑張ろう。
少しバテ気味
8合目白雲荘に到着。本8合目がどんどん近くに写ってきた。しかし、ここまで5時間を越える登山にみんなの足が重い。特に賀栄と雅洋の笑顔が消えた。もう少し頑張れ!
キムタク
8合目2つ目の山小屋である元祖室に到着。小屋の内部を覗いてみると、なんとキムタクの写真があるではないか。全く年齢差を忘れて女性4名はテンヤワンヤ・・・
まあ、こんな事でしんどさを忘れて笑顔が戻るのも一つのリフレッシュというのか・・・
うつろ
さあ、次の山小屋が今日の宿泊小屋である富士山ホテルだ。休憩の回数も増え、休む時間も長くなってきた。賀栄・雅洋は笑顔どころか、眼もうつろ・・・・・
もう一息、頑張ろう。本8合目はすぐそこ・・・・
標高3400m
5合目からなんと7時間30分。本8合目到着。ホントに時間は掛かったが全員自分の足でここまで来る事が出来た。到着と同時にみんなの顔に笑顔が戻った。ほっと胸を撫で下ろす。まあ、これで「富士山登頂計画」の前半部は全員クリアだ。
影富士
本8合目到着後夕食までの間、雅洋とめずらし景色を見ることが出来た。夕日が西斜面に沈んでいくと同時に東側に広がる雲海に写しこまれた富士山が浮かび上がったのである。
影富士と呼ぶらしい。影富士は時間と共にどんどん大きく長くなっていつの間にか雲海の中に溶け込んでいった。
仮眠
6時頃、夕食のカレーを頂いた。みんな食欲があり、ここまでの疲れも少しは回復しているようだ。今から深夜1時まで仮眠の時間だ。しかし、狭い・臭い・湿りの3拍子がそろったベットでなかなか眠りにつけない。そういえば、昨年も眠れなかったのを思い出す。
といっても、みんな私のいびきで眠れなかったというのは、どういう事だろう。自分は寝れてないつもりなのに・・・
頭痛
深夜1時起床の時間だ。みんなを起こすが、自分も軽い高山病の症状のようで、少し頭痛がする。みんなも快眠の様子は無く、笑顔がない。やはり就寝中は呼吸量も少ないので酸素欠乏になるのであろう。そうは言ってもここで引き返す訳にいかない。気力を振り絞り夜間登山の準備に取り掛かる。外の気温は5℃らしい。
SOS
みんなの準備途中、雅洋が冴えない顔をしている。「おなかが痛い」・・・外の新鮮な空気を吸いに出てみるが、全く変化がない。30分程様子を見るが、どうも急変する様子が無い為、頂上でのご来光との究極の選択を迫られる。時間がない。SOS・・・
結局、雅洋と自分はもう少し、様子を見る為、この本8合目に残り、他5名は頂上でのご来光を目指しスタートする事にする。絶対に自分の足で登頂してくれ・・・という思いを込めてみんなを見送る。2時30分・・・頑張れ・・・
ご来光
みんなが出発してから約2時間、囲炉裏のところで酸素吸入・水・ゼリーを摂り様子をみるが、お腹の状態は良くないらしい。結局、本8合目でご来光を迎える時間となってしまった。4時40分オレンジ色に染まった雲海から大きな大きな太陽が我々に元気を送ってくれた。もう一度頑張れるかな・・・。
チャレンジ
ご来光を見る直前にお母さんに電話をする。「ご来光を見てからここで寝て待っとくわ」
「やっぱりこれ以上登るのは無理・・・」高山病には勝てない。
ご来光を見た後、「おしるこ」を食べたいと雅洋が言うので、食べさせる事にする。
なんと、さっきのご来光から本当に元気を貰ったのか、少しづつ顔色が良くなってきた。
よし!チャレンジだ。雅洋!行ける所まで行ってみようよ。
あの鳥居まで
5時、一度はあきらめた登頂に向けて、小さいけれども確実に一歩づつ動き出した。
実際、自分もどこまで雅洋の気持ちをリードし、引っ張っていけるか自信が無い。しかしもう頂上向けて動くしかない。あの小屋まで・・・あの鳥居まで・・・いつの間にか最後の目標である鳥居が見えた。そして、その延長線上にはお母さんの姿が見える。
雅洋・・・行くぞ・・・
目標達成
鳥居まで、お母さんが迎えに来てくれていた。雅洋・・・よく頑張ったな・・・
これで全員登頂・・・「富士山登頂計画」の目標達成である。
雅洋の笑顔・お母さんの笑顔・・・涙・・・・感動。
雅洋は「ご来光をここで見たかった」っと・・・残念。
先行隊は?
2時30分に本8合目をスタートした先行隊は、登山者の混雑に巻き込まれ頂上直前でご来光を仰いだらしい。しかし、スタート時点からの高山病も症状が悪化し、大変な状況であった様である。頭にライトをつけて、岩場を登るなんて普段では考えられない事であるし、まして私がそこに居ないのだから、その2時間たるや想像すると、みんなの頑張りには頭が下がる。やっとの事で登頂したものの、お母さんを除く4人はノックダウン状態らしい。結局山頂小屋で我々後発隊が到着するまで約2時間じっと体力の回復を待っていたという事である。そこでも一番元気だったお母さんは、コンパクトを開けて化粧をしていたらしい。さすがである。
全員集合
7時山頂で7名全員が集合する事が出来た。3時間前、一度はあきらめた光景が今ここにある。みんなよく頑張った。特に指先が動かなくなっても頑張った賀栄・そして登頂をあきらめずにここまで登ってきた雅洋・・・自分の小さな一歩づつでもこうして山頂まで到達できる事を知ってくれた事に感謝する。
1級建築士学科試験を目前にしながら頑張った2人のスタッフにも、そして普段運動らしい運動もしない妹も良く頑張った。一番心配していたお母さんも超元気。
本8合目で一緒だったオーストラリア人の留学生と山頂で一緒になり写真を撮る。いつかどこかで会えたら・・・と言いながらバスの時間があるため、先に下山して行った。
年賀状
さあ、登頂できたからには、今回もう一つの目的でもある年賀状の写真撮影である。事前に創っておいた登頂旗を前に写真を撮ってもらう。良いのが出来てればいいのにな。
お鉢めぐり
登頂後・・・と考えていたが、みんなの体力・気力を考えると今回は無理をせず次回においておくとしよう。(皆さん次回ですよ。)
下山道
頂上で約1時間ぐらいゆっくりしただろうか、帰りの時間もあるので8時頃山頂を出発する。昨年のつらさがすぐに蘇ってきた。ああ、これから4時間もこの調子か・・・
防塵マスクをつけて火山岩の滑りやすいジグザグ道を下りる。下りても下りてもジグザグ。どこまで行ってもジグザグ。もうええで・・・と思ってもジグザグ。あ〜しんどい!
ようやく、昨日の登山道との合流地点までやってきた。すでにここまで約3時間を越えている。あと1時間あまり。最後の気力を振り絞ってみんなをリードする。
笑顔
正午12時みんなの顔が笑顔に戻った。みんないい顔をしている。5合目に到着である。みんな、頭の先から足の先までほこりと土汚れとでめちゃくちゃだ。しかし、みんなの顔には「登頂した」という満足感は十分にうかがえる。良かった。
帰路
荷物の整理をしお土産の買出し後、温泉へ向かった。登山前の温泉とは全く違った気分でゆっくりとお湯を楽しみ・・・満足感でいっぱいである。
4時頃、郡山向けて帰路につく。ここからが今回の「富士山登頂計画」のエピローグを締めくくる最後の仕事である。気をつけて帰ろう。
無事帰宅
途中で夕食を済ませ、9時30分全員無事帰ってこれた。本当に皆さんお疲れ様でした。
後記
今回の「富士山登頂計画」は色々な目的・主旨を盛り込んだ計画であった。家族の団結・事務所スタッフとの団結・個人の自己修練・絶景への期待・感動・協力・勇気・・・・
今、こうして振り返ってみると登頂した時よりも今・これからの方が色々な気持ちが盛り上がってくるのではないかと思う。
賀栄・雅洋も今回の経験を自分の人生の中でどこかの部分できっと自信に、そして勇気につなげてくれる事を期待し、今回の「富士山登頂計画」を終わる事とする。
追記
頂上でのお鉢めぐりについては、後日皆さんに日程をお知らせしますのでお集まりの程お願い致します。
終わり
by yoshihisa ogawa
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